今日、ものすごく久しぶりにシネマライズに行った。
最後に行ったのは、モンスターを見たときかもしれない。相当前だ。
確か、そのときも一人で行った気がする。
今日はアウトサイダーアーティスト、ヘンリー・ダーガーの
ドキュメンタリー(?)映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」を見た。
本人はもちろん死んでるから、写真でしか出てこないけど、このおじさんは、自分の写真を2枚しかもってなかった。だから、映画の最中出てくる写真は2種類だけ。
家族もいないし、友達もいない。
人とも喋らず、ひたすら一人で絵や物語を書いてた。
それも、誰かに見せようとか、自分を表現しようとか、
そーゆー目的ではなく、自分が神や邪悪なものと戦うためのすごく自己満足な物達。
人に感情を見せられないから、物語の中では自分は少女達に愛される英雄で、死ぬまでずーと、狭い部屋で一人で絵を描いていたこのおじさん。
膨大な量の物語と日記と絵が部屋中にあって、ベッドでは寝ず、イスで寝ていた。場所がないから。
孤独すぎて、自分の中に王国をつくっていたこのおじさん。
街はどんどん進化して動いていくのに、この人だけずっと時間が動いてないみたいに、毎日毎日同じ事を繰り返していて、進まずに、ぐるぐると生きている人みたいだった。
その時代のスピードと、この人の生きるスピードがあまりにも違いすぎて、それが一番悲しかった。
そんな早さで、テクノロジーの進化のような早さでは、人は生きられない。
でも、ぐるぐると進まず生きれる人なんて居る訳なく、結局死ぬのだけれど。
孤独って、悲しい響きだけど、そんなことはないような気がした。
少なくとも、この人は自分の作った作品に愛され愛し、最後までやり遂げた。
一番悲しいのは、孤独だから助けてくれと、誰かに叫んでる人だと思う。
死ぬ間際に、隣人が彼の作品達を見つけて、褒めるのだけど、
彼が行った言葉は「too late.」だった。
なんだか、意外な言葉だった。
実は評価される事を願っていたのか?それとも、何か違うものに対してのtoo lateなのか。
よく意味がわからなかったけど、私はこの人は誰かに評価されたいなんていうアイデアさえ、頭の中になかったと思う。
ほんとに彼が行った言葉はtoo lateだったのかな?
なんか、この映画を見て、すごく根本的な物が見えた気がした。
自分の中に沈むっていうのは、一度こつを覚えると簡単に出来るけど、
沈みすぎると、また浮かび上がってきたときに、他人と接したり、一番外側の膜だけの自分でいることが難しくなる。
この人は自分の中に沈みまくって生きて、死んだ。
ほんとに自分の小さな国の王様だったんだな、と思った。
映画が終わってから、光の早さで駅に向かって帰った。
日本に帰ってきてから初めて渋谷に行ったのにな。
雨だったし。
1 comment:
このひとまじすごいよね
うちも美術手帳で特集だったとき、ずーっと図書館でこのひとの話よんでた。そのために図書館いってた。
絵ってすごい
人ってすごい
ビビアンガールズすごい
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